大学の研究とその「リターン」

国立大学の経営改革促進に関する資料話題だ

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  • 日本の大学(特に国立の研究大学)は、社会ニーズに応え、「投資に見合うリターン」を生み出し、研究・教育・社会貢献を担う「知識産業」へと脱皮する必要がある。
  • そのために必須な経営力強化を実現するため、文科省内閣府が共同事務局となり、ハンズオンの改革支援を実施。
    • 改革マインドをもつ学長のリーダーシップによるガバナンスの強化、スピード感のある経営改革
    • 国立大学の改革を基軸に、公立大学、私立大学、国立研究開発法人などの改革も促進

これを読みかえると、「投資に見合うリターン」を生み出さない大学または部局は、社会的ニーズに応えていないので、学長のリーダーシップによりスピード感をもって改革または統廃合する、ということになりはしないだろうか。だとすると、これは現在行われつつある、国立大学での人文社会系部局の予算縮減、人員削減、組織統廃合を追認しているだけなので、とくに驚くべきことはない。

ところで国立大学への「投資に見合うリターン」とは何だろう。

投資が国立大学の予算という金銭的な投資だとすると、リターンもまた金銭的なリターンだと考えて差し支えないのだろうか。それとももっと広義の、金銭的価値に還元されない「国民の福祉の増大」とやらも含むのだろうか。

答えがどちらであれ、この「投資に見合うリターン」という言い回しは、国立大学を株式会社のように運営すべきだという考え方、より正確に言えば、国立大学に株主至上主義というイデオロギーを適用すべきだ、という内閣の意向を示す徴だと思う。

株主至上主義(shareholder primacy)とは、ようするに、会社は株主のものであり、株主の利害を第一に考慮して運営すべきだという説だ。

国立大学の最大の財源は政府からの交付金だ。この事実が、「国立大学という株式会社にもっとも多くの株式資本を注入し、最大議決権を保持しているのは政府だ」という見方に擬せられる。国立大学という法人の最大株主は政府なので、国立大学は政府の利害を第一に考慮した運営を行うべきだ、それは交付金の財源である税金を出した国民の利益を第一に考慮して行動することにもつながる。

この考え方に対する違和感を持つ人が、とくに大学の外の人たちの間では非常に少ないように思われる。自分が働いて払った税金が国立大学で使われていると考える人は、大学の自治というものをなにかけしからんものと考える向きさえあるように見える。

さきほど株主至上主義をイデオロギーといったのは、コーポレートガバナンスをめぐる議論をすこし調べると、株主至上主義にたいする批判的な視点などいくらでも見つかるからだ。

株主至上主義の最大の問題は、近視眼的な思考法にある。株主の利益を最大化することだけを目的として会社を運営すると、株価を上げるための短期的でわかりやすく見栄えが良い施策ばかり追求する方向に会社の資源が使われ、長期的に大きな成果を上げうるイノベーションをかえって阻害し、戦略やテクノロジーが陳腐化し、業績が傾き、結局は株主の利益を毀損する可能性がある。

産学共同の議論をすると、日本の大学から次のグーグルを出せという話をする人がすぐに出てくる。「総合科学技術・イノベーション会議」で、内閣の見解にお墨付きを与える「有識者」の方々が想定している「投資に見合うリターン」とは、大学で開発されたテクノロジーを応用した企業の株価が高騰し、株主にもたらす金銭的な「リターン」とその副次的な効果(例えば雇用の増大、GDP成長率の上昇)であるように見える。

問題は、そうした短期的な成果を最大化するために政府が権力(または暴力)を行使して、国立大学の組織を改編した場合、リターンをもたらしうる(と政府が想定する)テクノロジーの開発を行っている部局は、大学のなかでもごくごく一部だということだ。その一部に最大限のレバレッジをかける形でトップダウンの組織改編を行った場合、その組織形態が「その他大勢」の研究開発体制に適合している保証はない。全国の大学で長年にわたり行われていた多様な研究を阻害し、研究組織を破壊する可能性がある。流行を追いかけたテクノロジーの開発がぱっとしないものに終わったとき、他に何かないのかと大学を見渡すと、研究棟の跡地にぺんぺん草しか生えていないという事態がありうる。

アメリカの大学はすでに日本の「総合科学技術・イノベーション会議」が想定するような運営がなされていると主張する人は、アイビーリーグの大学院にどのような部局があり、どのような研究が行われているか、全部調べてものを言っているのだろうか。

老いて自分を変えながら働き続けるか、雇用不能な「無用階級」になるか

少子高齢化社会の切り札は女性と高齢者の労働市場参加だといわれるようになって久しい。 働き手が減れば、税金を払って社会保障制度を維持してくれる人も減る。残された手段は、

  • たんに社会保障費を切り詰めるのでなければ、

  • いままで働いていなかった人に働いてもらって、税金を払ってもらうしかない

という考え方が「普通」になりつつある空気。

マルチステージ型人生(による労働と納税)のすすめ

政府は人生100年時代構想会議を組織して、「人生 100 年時代を見据えた経済・社会システムを実現するための政策のグランドデザインに係る検討を行う」由。

この会議は『ワーク・シフト』、『ライフ・シフト』の著者リンダ・グラットン教授の「マルチステージ型人生」という人生モデルを理論的支柱にしているようだ。

これまでの生き方(3段階型人生モデル)では、「フルタイムで教育を受ける、フルタイムで仕事をする、そしてフルタイムで引退生活を送るという人生*1」を想定していたけれど、今後はいったん仕事を離れて、人生で様々な可能性を探求したり、もういちど学校で教育を受けなおした後に新たな職業に就く、あるいは組織に属さず個人として働くといったことを繰り返しながら年を取っていくような生き方が主流になるのではないかという考えだ。

f:id:bunjack:20180108222929p:plain マルチステージ型人生(出典:第3回人生100年時代構想会議、リンダ・グラットン議員 提出資料

技術革新が急速に進む中で既存の仕事はなくなり、新しい職業が生まれ、手持ちのスキルはどんどん陳腐化していく。新しいことを学び続けなければ、変化しつづける労働市場から振り落とされてしまう。

こうした未来に適応するには、新しいスキルを学ぶ機会を、働き始めた後で再び得られること、学びなおす機会が得られることがきわめて重要になる。大学と企業が「生涯にわたる教育の提供主体」となること、すなわちリカレント教育の提供機関となることの必要性が最近盛んに言われるようになってきたのは、このためだ。

マルチステージ型人生を生きる人にとっての「いい人生」とは、年を取っても、新しいことを学び続けながら、働き続けて、自分を、社会を支える生き方なんだろう。

でも、みんながみんなそんなふうに働きつづけられるか?

身体をこわしたらどうなるのか。

新しいことを学べなくて、新しい労働市場に適応できない人は死ぬのか。

そもそもみんな、年を取ったときに、そんなに働きたいと思っているのか。

おれのように怠け者で労働意欲の低い人間にとって、人生100年時代構想会議で議論されている健全な新時代の生き方は、無茶苦茶しんどそうに感じられる。

なにがしんどいかって、働き続けることこそ正義で、そこに人生の意味がある的な考えが健全なものとされているように感じられること。*2

「無用階級」として生きる選択肢

サピエンス全史』で一躍、歴史学研究のスーパースターになったユヴァル・ノア・ハラリ教授の論調は、人生100年時代構想会議に流れている空気とはだいぶ違う。

彼が「ガーディアン」に寄稿した「労働亡き世界における人生の意味(The meaning of life in a world without work)」という文章も、労働市場の変化についてコメントするところからはじまる。いまある仕事のほとんどは、今後数十年以内になくなるかもしれない。だが、

重要な問題は、新しい仕事を作り出すことではない。人間がアルゴリズムよりも上手くやれる仕事を作り出すことだ。結果的に、2050年までに、無用階級(useless class)という新しい人間の階級が現れるかもしれない。人が失業する(unemployed)だけではなく、雇用不能(unemployable)となる。*3

人間を役立たずにするまさにそのテクノロジーが、なんらかのユニバーサルベーシックインカム的な形態で、雇用不能な大衆を食わせ、支えることを可能にするかもしれない。*4

で、仕事でなんの役にも立たないけれど、とりあえず食ってはいける無用階級の人は、もう労働しなくてもよい世界で、労働後の世界で、何をしたらいいかという問題が残る。

経済的に余剰な人たちはしだいに多くの時間を3Dヴァーチャルリアリティ(VR)の世界で過ごすようになるかもしれない。その世界は外の「現実世界」よりもはるかに刺激的で、気持ちが入った世界だ。じつはこれは、とても古い解決策だ。数千年の間、何十億の人びとがVRゲームをプレイすることに意味を見出してきた。このVRゲームを昔は「宗教」と呼んでいた。*5

(……)

VRゲームをプレイすることに人生の意味を見出すということは、もちろん宗教だけによくあることではない。世俗のイデオロギーやライフスタイルにもよくあることだ。消費主義(consumerism)もVRゲームだ。新しい車を手に入れたり、高いブランド品を買ったり、海外で休暇を過ごしたらポイントがもらえて、ほかの皆より手持ちのポイントが多かったら、おれはゲームに勝ったと自分にいい聞かせる(というゲームだ)。*6

「現実世界」で物質的に豊かになって、社会的ステータスの高い人生を送るというゲームも、宗教も、ひとしくVRゲームにすぎない。なぜならそれは、ゲームをプレイする私たちが与える意味によってだけで成り立っているからだ。その意味は私たちの精神によって与えられる。

このことを押さえておけば、カネのかからないゲームであっても、それが「深みのあるゲーム(deep play)」であれば、つまり、「現実になってしまうほど多くの意味を帯びた作り物のゲーム*7」であれば、人生に多大な影響をもたらすことがわかる。

イスラエルの社会で一部の面白い部分は、労働後の世界(post-work world)でどう充実した人生を生きるかという問題について、まさにユニークな実験室になっている。イスラエルで〔ユダヤ教〕超正統派のユダヤ人男性は、かなりのパーセンテージの人が、生涯で一度も働かない。この人たちは一生のあいだずっと聖典を研究したり、宗教儀礼を行ったりして過ごす。この人たちもその家族も、飢え死にすることはない。妻の方が働くことが多いし、政府が結構な額の補助金をくれるからだ。この人たちはたいてい貧乏だが、政府が援助しているので、生活に必要な基本的なものに事欠くということはない。*8

これは実際に運用中のユニバーサルベーシックインカムそのものだ。上述の超正統派ユダヤ人男性は、貧乏で働いていないが、調査によれば、この人たちはイスラエル社会の他のどの人々よりも高いレベルで人生に満足しているという報告がある。人生の満足度に関する世界規模の調査では、イスラエルはほぼ常にトップだ。これは(部分的にではあれ)無職で〔宗教的世界を〕深く追求する/遊び倒す人たち(deep players)のおかげだ。*9

(……)

いずれにせよ、労働の終わりが必ずしも意味の終わりというわけではない。意味は労働よりは想像から生まれるからだ。労働が意味にとって絶対に必要だというのは、一部のイデオロギーやライフスタイルにとってそうであるだけだ。18世紀英国の地方地主貴族、現代の超正統派ユダヤ、あらゆる文化と時代の子どもたちは、働かなくとも人生にたくさんの興味深いことや意味を見出してきた。2050年の人たちはおそらく、歴史上かつてなかったほど深みのあるゲームをプレイして複雑なヴァーチャルワールドを作りあげることができるだろう。

だが本当のところはどうなのだろう。何十億もの人がファンタジーに浸りきって、偽のゴールを目指して、想像上の決まり事に従うような世界に、私たちは本当に生きたいと思っているのだろうか。まあ、望もうが望むまいが、もう数千年にわたって私たちはそういう世界で生きてきたわけだが。*10

で、どうすれば

宗教に知的所有権はないけれど、VRゲームにはある。VR世界の中でハッキングから今夜のおかずまですべてがそろって、私たちがその世界ゲームを利用すればするほど、ゲームを作った人になにかしらのかたちでお金が入るようになるだろう。ゲームのもっとも身近なプラットフォームがコンソール(筐体)からスマートフォンに移行したとき、射幸心を煽るゲームを作った会社が急速に業績を伸ばしたのを見ていたなら、そんなふうに予想するのは自然なことだろう。

労働後の社会で働けない/働きたくなくて「無用階級」となって生きるとき、参加するVRゲームがスマホのガチャゲーみたいなものしかなかったら、わたしたちはゲームの胴元に搾取される新たな奴隷階級に転落するディストピアが待っているだけだろう。そうならないためには、参加するゲームが誰のものでもなくて、みんなのものである、つまりパブリックなものになっている必要がありそうだ。

いま働き盛りで順調にキャリアアップし、資産を積み増していっている人は、これは自分に関係のない話だと思うかもしれない。自分はより付加価値の高い仕事へ移行し続け、次代の階級社会で貴族的な位置を占めることができるはずだと思っている人は。 だが、王侯貴族や資産家の家に生まれついたのでなければ、誰だって「無用階級」になりうると思うのだ。ひとたび心身の病気になれば、あるいは親族の介護でフルタイム勤務ができなくなれば、加速度的に参入障壁を増してゆく新・労働者階級へ再び参入することはもうかなわないかもしれない。

そういう状況に自分がなったとき、働いてお金を稼ぐゲーム以外に、命が尽きるまでの間、自分が参加できるゲームは何か考えながら生きていく、つまりどうやってヒマつぶしをするかというあの問題がまた戻ってくることになりそうだ。

*1:https://www.kantei.go.jp/jp/singi/jinsei100nen/dai3/gijiroku.pdf

*2:『ワーク・シフト』でグラットン教授は職場以外の人間関係と居場所をちゃんと作っておくことの重要性を説いているが、『ライフ・シフト』のマルチステージ型人生が日本政府の手にかかると、健全な納税者育成モデルに見えてしまう。

*3:The crucial problem isn’t creating new jobs. The crucial problem is creating new jobs that humans perform better than algorithms. Consequently, by 2050 a new class of people might emerge – the useless class. People who are not just unemployed, but unemployable.

*4:The same technology that renders humans useless might also make it feasible to feed and support the unemployable masses through some scheme of universal basic income.

*5:Economically redundant people might spend increasing amounts of time within 3D virtual reality worlds, which would provide them with far more excitement and emotional engagement than the “real world” outside. This, in fact, is a very old solution. For thousands of years, billions of people have found meaning in playing virtual reality games. In the past, we have called these virtual reality games “religions”.

*6:The idea of finding meaning in life by playing virtual reality games is of course common not just to religions, but also to secular ideologies and lifestyles. Consumerism too is a virtual reality game. You gain points by acquiring new cars, buying expensive brands and taking vacations abroad, and if you have more points than everybody else, you tell yourself you won the game.

*7: a made-up game that is invested with so much meaning that it becomes reality

*8:Indeed, one particularly interesting section of Israeli society provides a unique laboratory for how to live a contented life in a post-work world. In Israel, a significant percentage of ultra-orthodox Jewish men never work. They spend their entire lives studying holy scriptures and performing religion rituals. They and their families don’t starve to death partly because the wives often work, and partly because the government provides them with generous subsidies. Though they usually live in poverty, government support means that they never lack for the basic necessities of life.

*9:That’s universal basic income in action. Though they are poor and never work, in survey after survey these ultra-orthodox Jewish men report higher levels of life-satisfaction than any other section of Israeli society. In global surveys of life satisfaction, Israel is almost always at the very top, thanks in part to the contribution of these unemployed deep players.

*10:In any case, the end of work will not necessarily mean the end of meaning, because meaning is generated by imagining rather than by working. Work is essential for meaning only according to some ideologies and lifestyles. Eighteenth-century English country squires, present-day ultra-orthodox Jews, and children in all cultures and eras have found a lot of interest and meaning in life even without working. People in 2050 will probably be able to play deeper games and to construct more complex virtual worlds than in any previous time in history. But what about truth? What about reality? Do we really want to live in a world in which billions of people are immersed in fantasies, pursuing make-believe goals and obeying imaginary laws? Well, like it or not, that’s the world we have been living in for thousands of years already.