Windows 11のCPU足切りと、古いPCを使い続ける自由

カフェのテラス席で、テーブルにとても大きなノートPCが置いてあるのを見かけて、思わず二度見した。それはPCではなく、持ち運び式のワープロだった。2021年に、こうして、あえてワープロを使っている人がいるのか、しかもノートPCと同じような使い方をしようという意志を持って、それを腕力で実現している。そんなふうに思って、妙な感動を覚えた。

Windows 11のインストール要件がCoreシリーズだと8世代からで、これは2018年以降に出荷されたPCだけに該当するそうだ。Windows 11を使わせるにあたって、古いPCを門前払い、足切りしているわけだ。Microsoftは古いPCの世話をしたくないという思惑があるらしい

これが理由で、いま中古市場に出回っているPCが大量のゴミの山になるかというと、すぐにそうなるわけでもなさそうだ。Windows 10のサポートは2025年まであるらしいので、それまではいちおうセキュリティ対策のためのアップデートがかかるという意味で「使える」ことになる。

でも総じて、なんかうれしくないニュースではある。

ぼろいPCぐらい好きに使わせてほしいと思う。

いまこれを書くのに使っているPCだって5年以上前に売っていたものだけれど、ネットを見てブログの文章を書くぐらいの作業は問題なくできる。このPCが、もうすこししたら使えなくなりますよ、と他人に勝手に期限を決められるのがうれしくないんだと思う。*1

同じ古いPCを使い続ける自由はある。ハードウェア要件が低めのLinux distroを入れて使っていけばいい。そう考えて移行のテストをしてみたこともあった。結果、Windows 10に戻した。最大の理由は、LibreOffice Writerで期待したほどの信頼性が得られなかったことだ。ある程度複雑なレイアウトの文書を作ろうとすると、異様に動作が遅くなってキーボードからの入力も数十秒単位で遅延が発生した。*2

結果的に、OSを作る人たちが決めた時間軸に沿って押し流されていくだけのPCの使い方になっていると思う。

モノとして古いPCを使い続けることは見当はずれなのだろうか。PCは使い捨てと割り切って、どんどん入れ替えていくのが当たり前という「常識」を受け入れるべきなのだろうか。

その「常識」に逆らう自由はある。あるのだけれど、自己責任で、どういう機能がこれから使えなくなって、どういう機能を追求するのかとか、選択が伴うようだ。

 

*1:いま自分が使っているPCを2025年までずっと使い続けていたら、「スペック的に苦しくなる」だろうとは思う。それって、たとえばブラウザを立ち上げてネットを見るのに、なんか動きがもっさりしているとか、マルウェアに感染する不安が増えるとか、体感的なぼんやりしたものだ。そんなPCを好き好んで使い続けるのはばかげている、さっさと少しばかりのお金を払って、新しめのPCに買い替えないのは非効率だという考えにも分があると思う。だがそれはそれとして、やはり、物として古いPCを使い続ける執念みたいなものがある人にも選択肢が欲しいということだ。

*2:ブラウザでWordを使うとか、Wineを使うとか、技術的な解決法はあるんだろうが、この辺はすっきりした感じがせずに採用に至らなかった。